皆様のなかでも、「いつまでも聞き続けている曲」はないでしょうか。
わたしにはいくつかあり、その一つが尾崎豊さんの曲「僕が僕であるために」です。
現代の音楽を批評をするつもりは一切ありませんが、「心に残る音色が少ない」ような気がするのは私だけでしょうか。
国だけでなく、国民が率先して音楽を守っているフランス。「ルネサンス」で生まれた芸術(絵画や音楽、演劇など)を教育・育成・保存・貯蔵する機関=コンセルバトワールを確立しているフランスは、芸術は「なくてはならない空気」のような存在です。
日本にもこのような機関がありますが…、フランスの取り組みを観ると中途半端もしくは「何もしていない」に近いと感じてしまいます。
日本にも素晴らしい楽器が存在しますが、日々の生活で触れることは少ないのではないでしょうか。
例えば、琴や三味線、和太鼓。
フランスで日々聴こえてくるクラッシックと同じように、日本の楽器が奏でる曲が耳に入ることは非常に少ない…ですよね?
ジョニー・アリディ
フランスの国民的歌手、ジョニーアリディさんは2017年に他界されました。
この訃報は、すぐさまフランス全土に報道され、気づいたら「国葬レベル」の葬儀となりました。一度は皆様も耳にしたことがある「マドレーヌ寺院」で葬儀が行われる…=国宝級ということになります。(あ、マドレーヌはお菓子で知られていますね…。)
この葬儀に関して、誰も批判することなく執り行われたということは、「ジョニーの歌声は、老若男女問わず愛された=皆の心に浸透していたんだ!」と知ります。
尾崎豊
若い方はご存じないかもしれませんが、尾崎豊さんの葬儀は護国寺で執り行われました。
多くのファン(4万人!)が詰め寄り、今でも命日になるとファンが集まり彼の曲を歌うそうです。
音楽は、人の心を癒し、支え、励ます力があり、彼が旅立って30年以上経過しても「彼の声と歌」が多くの心に深く浸透しているのかは、多くのミュージシャンのカバーの多さをみれば明白です。
Webが支える浸透度
今回のテーマは、ある意味で私だけでなく、多くのWeb業界に生きる人たちの永遠のテーマの一つだと思います。
「いかにして、人の心をつかみ、浸透させるか。」
本来は、「いかにして、人の心に伝え、受け止めてもらうのか。」です。
しかし、勝手ながらビジネスである以上、どこを差し置いてでも選んでもらう、この思いが「浸透」ではなく「洗脳」になってしまいます。
モーハチは、チーム全体として「いつでもどうぞ!」という想いを発信し続けることが重要と考えているからこそ、「誰に読んでもらえるか分からないけど、出し続けていこう。」と話し合いました。
Web上で、浸透度を測る時、非常に複雑になっているのは確かです。
フェイクニュース、こねくり返した広告、腹の底が見えづらいサービス…。
Xでの批判コメント、YouTubeやTikTokなどの「瞬間的に頭に入るが、すぐに消えてしまう記憶」の動画、なんでも「年齢や性別」で分けてしまうサービス…。
結果として、「どれだけサイト閲覧され、どれだけ動画が回ったか」の数字合戦でしか、勝負ができない世界になっています。
AIが、浸透する言葉を奏でる
もうそこまで来ていますね。
音楽でも、尾崎さんやアリディさんのように人の心をつかむ楽曲をAIが奏でる日も。
何を言おうとも、情報の受け手側の度量に委ねなければならず、情報処理が追いついていないこのご時世に、「どうやって浸透させるのか」は至難の業です。
例えば、女性の化粧品。
移り変わりが激しいですね。人々の肌質が変わったとはいえ、ええもんは選ばれず消えていきます。(某化粧品メーカーの商品開発者談)
例えば、テトリス(ゲーム)。
1980年代末に各種機器から販売されて以降、このゲームだけプレイしている方は皆無です。
つまりは、必ず飽きがくるということになります。
それでも愛され=浸透させるためには、「ずっと変わらない、不変のメッセージを伝え続けていく」しか方法はないのかもしれません。
いつか、「この曲、作詞・作曲・編曲も全てAIなんだって。」という日が来るまで、私は尾崎さんが発信し続けた心を受け止め、記事を書き殴っていきます!
皆様のWebライフが、より美しいものになることを願って…。
##マイメモ
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元記事:コチラ