小学校3年生に、社説は書けない
既に「社説」という言葉は、若年層には聞きなれない用語になりつつあります。
社説とは、各新聞社がそれぞれの思想や意見、主張が書かれた「論説記事」です。
さて、「小学校3年生に、社説は書けない」とは一体どういうことか?
何を書いても「読書感想文」になってしまう文章校正
私たちは、事あるごとに小学校で「読書感想文」を書く機会がありました。
本を読み、感想を書く。至って簡単なことです。
しかし、苦い経験をした方は多いのではないでしょうか。
その昔、大学院生だった私は、現役大学生が書く小論文の採点を手伝ったことが何度かあります。
それ相応に名の通った大学であり、偏差値も60以上と、学力ではそう低くない学生が集まった大学です。
その彼らが書く小論文は、まさに「小学生レベル」であったことに驚きました。
設問の意図を、全く理解していない学生も中にはいました。(10人に1人)
彼らの文章力に興味もあり、各人150人程度の採点を終えて、採点者で「なぜこのような文章を書くのか」という議論が始まりました。
行きついた答えは…、
「今まで、自分の考えや知識を引き出して文章を書く機会がなかった。」
「問いに対する答えを、頭の中で整理してから書けず、思い浮かんだことを羅列しただけ。」
でした。つまり、それまでの12年間の学習で「読書感想文」程度から成長していないと感じました。
その後数年間、様々な学生の記述レベルを見ましたが、何を書いても程度は低かった…と指摘しておきます。
読書感想文レベルで、SEOで評価はどうなるか?
皆様に伝わるように、このような上記の例を用いていますが、Googleなど多くの検索サイトでは「記事の質をAIにて評価する」機能が備わっています。
今日、SEOの講座では難しい言葉で、あたかもハイレベルな内容を並べています。
しかし、これをモーハチらしくシンプルにいえば、「AIに書く技術が低いと判断される人に、高評価な社説を書けるのか」ということです。
SEOが高評価と判断する文章を書くためのテクニックを身につける…、素晴らしいことです。
…がしかし、それこそ社説を書くレベルにも達していない人に、どうやってその技術を身につけさせようというのでしょうか。 不思議です…。
いよいよターミネーターの時代へ
人口知能に高評価と判断されたもので喜ぶ時代になっているとするならば、機械と人間の立場が徐々に反対になってきているのではないでしょうか。(他でも良く話すことです。)
とはいえ、AI判定を無視するわけにはいきません。だからこそ、「短時間で必要なことを学び、一つのフォーマットに当てはめた」記事が乱立してしまうのです。
皆様は気づいていないかもしれませんが、SEO対策を講じたページにはある一定の特徴があり、「ファッション雑誌に載っていたから、この服着る!」といったように皆同じです。
その最も良い例が、「目次」です。一見、「目次をつけたほうが読みやすい」と言いますが…、単純にSEO対策です。
何が、どこに、どういう項目で書かれているのか…。
確実な質の高い情報でさえ、探索時間・コストをかけたくないがゆえに、目次がついていたほうが見つけやすい…、反対はしません。
しかしこの方法は、「ある一定の知識と情報処理能力が備わった人たちには最適であり、殆どの人は『かいつまんだ程度の低い切り抜き情報』を得ているだけ」と考えます。
…がゆえに、間違った解釈につながり、思いもよらぬ方向で物事が伝わるケースは、日常の報道でも起きているのはご存じでしょう。
AIに評価された文章がもたらす、様々な弊害は「ちょっとしたことで起きていて、蓄積されている」と言っても良いのではないでしょうか。
「まずは皆様の心のこもった文章」を重視してもらいたい
言葉は、書く人によって表現方法や構成など「特徴」が表れます。誰かによって加筆・修成された文章は、また違う味になります。
若い人は経験がないかもしれませんが、「恋文=ラブレター」は直筆で書くからこそ、相手に想いが伝わったものです。(ロミオとジュリエット)
それがAIとなれば、どこかで当てはめて書かれたネットの投稿記事=無機質なデジタルテキストによって、より無機質になります。
絵文字(=象形文字)も使わず、文字だけで想いを伝える…、その積み重ねを繰り返し「社説」レベルが書けるようになった時、初めてSEO対策すべきではないでしょうか。
皆様のWebライフが、より美しいものになることを願い…。
##マイメモ
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